26歳のこと

プレゼントより愛がほしいなぁと思う28歳の朝……。

それはともかく、うっかり忘れているうちに28歳になった。昨日、人に言われて明日が誕生日だということに気がついた。
ぼくは、誕生日とかそういうセレモニー的なものはあまり好きじゃない。それで、いままで自分の誕生日もさることながら、何度も彼女の誕生日もすっぽかしてきた。そいうのより「サラダ記念日」的ななんでもない日を勝手に記念日にしてそのときにささやかにお祝いするような感じでいい(ま、これはすっぽかしたときの言い訳でもあるんわけだけど)。

20代の前半からずっと、26歳を目指して生きてきた。26歳がひとつのターニングポイントだと思っていた。旅で出会った26歳の人々はとても大人に見えたし、かっこよかった。
なぜ26歳なのかというと、沢木耕太郎が深夜特急の旅に出たのが26歳だったからだ。のちに沢木耕太郎は、あの旅は26歳より若くてもダメだったし歳を取ってもダメだったというようなことを回想している(うろ覚えだけど)。
だから、ぼくの頭の中にはずっと「26歳」がひとつのキーワードとしてあった。26歳になったらなにかをするんだという野望と淡い期待のようなものが。

でも、気がついたら今日で28歳。
26歳になったときに抱いたある種の失望のようなものからはや2年が過ぎ去ってしまった。その間、いったいなにをしていたのか。
昨日の夜、ビールを飲みながらそんなことをぼんやり考えていた。なにかとてもいい言葉を思いついたのだけど、一晩寝たらすっかり忘れてしまった。
結局そんなふうに毎日を忘れながら2年が過ぎていったんだろう。

こんなことを書いている間にも時間は過ぎていく。
そして、来年また同じことをここに書いているのかもしれない。

先日ある人と、このままの自分じゃダメだと思うんですというような話をしていたときに、こういわれた。
「たぶん来年も同じこと言ってるよ、きっと」
その言葉は、なにか宿命的な響きでぼくの胸に刺さった。確かにそうかもしれない。ダメだと思っていても、行動を起こさないとなにも変わらないのだ。
そのとき、なんとなく1年後のその日がリミットのような気がした。


さて、そんな悲観的な話は置いておいて、せっかく誕生日なんだから、オークションで新しいライカでも買って気持ちを入れ替えるのもいいんじゃないかと思っている。

どうやらいつまでたっても成長できなさそうだ。

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