親友の命日
昨年亡くなった親友の一周忌の法要が京都であった。
彼とは学生時代からの付き合いで、社会人になってからもしばらくは同じ職場で一緒に働いていた仲だった。その後、彼はチーズづくりの道に進むべくイタリアへ留学、帰国後は北海道のチーズ工房で働いていた。
1年前の今日、1本の電話で彼の訃報を知った。不慮の事故だということだった。これほどまでに事実が理解できないことは、いままでの人生でないはじめてのことだった。事実が事実として飲み込めなかった。
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その翌日、親しい友人3人と飛行機で北海道に向かった。自分の目で確かめて事実を飲み込みたかったのだと思う。しかし、その事実を目の当たりにしても、到底飲み込めるようなものではなかった。それからしばらくの間の記憶はあまりない。
49日が過ぎた6月、大学時代の友人を中心に彼を偲ぶ会を開いた。事務的な作業に追われたこともあって、その頃には随分と彼の死というものが受け入れられるようになった。そうして、いつしかいろんなことに追われる日々に戻っていった。
今日であれからちょうど1年……。欠けたパズルのピースはそのままで、それさえもが日常になってしまった。
こうして、彼の知らない1年がまた過ぎていくのだろうか。