Lifeの記事

内田樹の研究室

このところ、「内田樹の研究室」というブログに夢中になっている。
内田樹(「たつる」と読む)というのは、神戸女学院大学の教授でフランス現代思想の研究者らしいのだけど、エッセイなんかもたくさん書いているそうだ。

歯に衣着せぬ語り口で日本の現代社会を批判する文章は読んでいて非常に痛快だ。
なるほど、そういう考え方もあるのかと妙に納得してみたりする。
なんというか、いまのぼくの現状を打開するヒントを含んでいるとうか、そんな感じがしないでもない。

おもしろかった記事をはてなブックマークに集めてみたので興味のある方はご一読を。

最近つくづく思うのだけれど、この手の議論って大学のときにもっとたくさんやっとけばよかったと思う。もちろん、いまからでも遅くはないけど、それにしてはあまりに時間がなさすぎる。
なんといっても、夢や理想を語るのは学生の特権でもあるし。
そういう意味で、大学の先生っていうのはおいしいよなぁなんてことも思ったりするわけだけど……。

追記
ごめんなさい。肝心の「内田樹の研究室」のリンクを貼ってませんでした。

Free Hugs Campaign

1ヶ月遅れでFree Hugs Campaignというのを知った。
ちょうど1ヶ月前にYouTubeにアップされた映像で、爆発的なヒットになっているそうだ。

ご存知ない方は、なにはともあれまず映像をご覧ください。

シドニーでジョン・レノン風のある男(名前はJuan Mannという)がみんなで抱き合おうというFree Hugsキャンペーンを行っていた。
しかしキャンペーンは広がっていったものの、市と警察から禁止令が出た。
そこで彼は1万人の署名を集めて市に提出。無事許可されて最後は警官ともハグ……。

という感じの内容。

最初は映像に釘付けでそういう話の流れとかよくわからなかったのだけど、とにかく見てるだけで無条件に感動してしまった。ただ抱き合うという行為がこんなにも素敵なことだとは思わなかった。普段ハグという習慣のない日本人だからこそ余計にそう思うのだろうか。

もうひとつすごいのは、この映像を撮影したのは、ビデオのバックで流れているSick Puppiesというバンドのボーカルだということだ。
昼間はバイトをして夜に音楽活動をしていた彼はFree Hugs キャンペーンの男と出会い、その様子を撮影することにしたのだそうだ。
その後、Sick Puppiesはアメリカに拠点を移したが、祖母を亡くしたJuan Mannを励ますため、自分たちの曲にのせて映像を編集して公開したということだ。
「All the Same」というその曲のジャケットには「FREE HUGS」と書かれたプラカードを持ったJuan Mannの写真が使われている。

そのあたりの詳しいことはThe Sydnew Morning Heraldの記事(英語)を参照あれ。

で、なんだかとっても感動したので、さっそくiTunes Storeで「All the Same」を購入した。曲はあまり好みじゃないけど、素敵な作品をつくった彼らに敬意を表して(余談だけど、これってかなりのプロモーションになってると思う)。

Free Hugsキャンペーンはいろんなところに飛び火して、いろんな国の人たちがぞくぞくと映像をアップしているようだ。韓国版なんかは音楽まで一緒のパロディーでなかなかおもしろかった。モノクロの映像ではじまって、最初の人とハグしたところでカラーになるっていうのも忠実に再現しているところがいい。

そんなわけで、こういうのって日本でも流行ったらおもしろいだろうと思うんだけど、いざ自分が当事者だったらぜったい恥ずかしくてできないよなぁって思ってしまうところに、なんか根本的な問題があるような気がしてならない日曜の午後なのでした。

26歳のこと

プレゼントより愛がほしいなぁと思う28歳の朝……。

それはともかく、うっかり忘れているうちに28歳になった。昨日、人に言われて明日が誕生日だということに気がついた。
ぼくは、誕生日とかそういうセレモニー的なものはあまり好きじゃない。それで、いままで自分の誕生日もさることながら、何度も彼女の誕生日もすっぽかしてきた。そいうのより「サラダ記念日」的ななんでもない日を勝手に記念日にしてそのときにささやかにお祝いするような感じでいい(ま、これはすっぽかしたときの言い訳でもあるんわけだけど)。

20代の前半からずっと、26歳を目指して生きてきた。26歳がひとつのターニングポイントだと思っていた。旅で出会った26歳の人々はとても大人に見えたし、かっこよかった。
なぜ26歳なのかというと、沢木耕太郎が深夜特急の旅に出たのが26歳だったからだ。のちに沢木耕太郎は、あの旅は26歳より若くてもダメだったし歳を取ってもダメだったというようなことを回想している(うろ覚えだけど)。
だから、ぼくの頭の中にはずっと「26歳」がひとつのキーワードとしてあった。26歳になったらなにかをするんだという野望と淡い期待のようなものが。

でも、気がついたら今日で28歳。
26歳になったときに抱いたある種の失望のようなものからはや2年が過ぎ去ってしまった。その間、いったいなにをしていたのか。
昨日の夜、ビールを飲みながらそんなことをぼんやり考えていた。なにかとてもいい言葉を思いついたのだけど、一晩寝たらすっかり忘れてしまった。
結局そんなふうに毎日を忘れながら2年が過ぎていったんだろう。

こんなことを書いている間にも時間は過ぎていく。
そして、来年また同じことをここに書いているのかもしれない。

先日ある人と、このままの自分じゃダメだと思うんですというような話をしていたときに、こういわれた。
「たぶん来年も同じこと言ってるよ、きっと」
その言葉は、なにか宿命的な響きでぼくの胸に刺さった。確かにそうかもしれない。ダメだと思っていても、行動を起こさないとなにも変わらないのだ。
そのとき、なんとなく1年後のその日がリミットのような気がした。


さて、そんな悲観的な話は置いておいて、せっかく誕生日なんだから、オークションで新しいライカでも買って気持ちを入れ替えるのもいいんじゃないかと思っている。

どうやらいつまでたっても成長できなさそうだ。

春樹さん、残念

村上春樹がノーベル文学賞の候補に挙がっているという噂は聞いていたのだけど、発表が昨日だというのは直前まで知らなかった。
午後8時、コンピュータの前でわくわくしながらノーベル賞のオフィシャルサイトを見てみたら、残念ながら受賞したのは最有力候補のトルコのオルハン・パムク氏だった。
フランツ・カフカ賞を受賞してノーベル文学賞も受賞するなら今年しかないというタイミングだけに残念だ。

きっと、報道関係とか、出版業界とかいろんなところで受賞祝賀の準備していたんだろうなぁと思うと気の毒でもある。
でも、本人はあまりメディアに登場したがらない人なので内心はほっとしてるんじゃないかなんて思ってみたり。

もしも受賞してたら、街中ににわかハルキスト(っていうらしい)が溢れ返ってそれはそれで気味が悪いなぁとも思う。

以下、Wikipediaより「ハルキスト」の引用。


ハルキスト(はるきすと)とは日本の小説家、村上春樹(もしくは村上春樹の小説)の熱烈なファンのこと。単に村上春樹作品を愛好するファンも多いが、ファンの多くは村上春樹による随筆やホームページなどによって村上春樹本人のファンであることが多い。 ハルキストの多くは村上作品に登場する他の文学作品や音楽作品などにも興味を持ち、村上春樹を通して他の愛好作品を見出してくことが多い。特に村上春樹がジャズマニアでありジャズに関する本を出版したり、またその作品中に度々ジャズが登場することから多くのハルキストが作品を介してジャズを聴くにいたるという場合は多い。
出典:Wikipedia

うーん、うまいこと書くなぁ。
かくいうぼくも、スライ&ザ・ファミリー・ストーンを知ったのは春樹さんの小説の中ででてきたのがきっかけだし(たぶん「ダンス・ダンス・ダンス」)、ジャズに興味を持ったのも少なからず影響を受けた結果だと思う。

そんなこんなで、昨日の夜は「羊をめぐる冒険」を引っぱり出して読みはじめてしまった。ちょっと時間をかけて村上春樹を読み直してみようと思っている。

映画「ナミィと唄えば」

ナミィと唄えば

本橋成一の映画「ナミィと唄えば」を観に行ってきた。

本橋さんの会社「ポレポレタイムス社」から案内の封書が来て、京都シネマで上映していることを知った。こういうマメな心遣いはほんとに嬉しいなぁと思う。
実は、本橋さんとは以前に一度お会いしたことがあって、そのときは大失態を演じてしまったのだけど、それはまた今度書くことにします。

本題の映画はというと……。
前作の「アレクセイと泉」とはうって変わってエンターテイメント調に仕上がっていた。ところどころちょっとどうかと思う演出もあるのだけど、観たあとでじわっと効いてくる感じ。なるほど、本橋さんはそういいたいわけね、と。

三線弾きナミィおばあの人生を振り返りながら、おばあの今が同時に描かれる。
原作者である姜信子さんがそのまま映画の中に出てくるというのも新鮮な感じがした。

あまりぼくが書いてもうまく伝わりそうにないので、公式サイトの本橋さんの言葉を引用させていただきます。


僕がとまどったことは、おばあは自分の過去にほとんど興味がないということだった。かなりの辛い半生だったと思うのだが、決して苦労話にならない。だから、辛かった過去をインタビューして、今の明るい可愛い85歳のおばあを演出するというドキュメンタリー映画のひとつの組立にもならない。おばあの中には、いつもこれからの人生を楽しむことしかないのだ。過去のことより、明日のことの方が気になって仕方がないのだ。神社やお寺にお参りに行っても、歌三線でみんなを喜ばし続けたいから、どうか百二十歳まで長生きさせてほしいと本気でお願いする。
いつの時代でも御上や国家は自分たちの都合のいい歴史をつくっていく。それなら、みんなそれぞれに自分史をつくればいいのだ。昔出会った引退間際のサーカス芸人の千代子姐さんも過去の話はいつもその時々で違っていた。そんなことより、「今度からはこんな芸でお客さんを喜ばせたい、喜ばすんだ」と話がはずむ。過去の自分はこれからの自分でいい。だから、おばあの辛かったであろう半生も、楽しい人生にいつの間にか置き換えられるのだろう。
そんなわけで完成したこの映画は、歌って踊って、ちょっと楽しい映画になった。ぜひこの映画からおばあの人生をのぞいてほしい。
監督 本橋成一

そんなわけで、みなさんもぜひ機会があればご覧ください。

言葉にできない 動物編

前に紹介したYouTubeの「言葉にできない」に続編が出ていたので掲載。

最近、はてなブックマークを使いはじめたので、この手の面白ネタの紹介はこっちに載せていくことにします。気になるニュースの話題なんかも。

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」上田義彦

ちょっと遅くなってしまったけど、おとといのNHKの「プロフェッショナル」の話。

* * *

ぼくは上田義彦についてはあまりよく知らなくて、広告写真の一線で活躍してる人という印象しかなかった。写真家というよりカメラマンと言う感じ。でも番組を見たら、それだけじゃなくて、考え方なんかもかなりかっこいい人のようだ。

モチベーションが下がりっぱなしの最近のぼくにはかなり胸に刺さる内容。
自分の信念に基づいて仕事ができるというのは素晴らしいなぁと思う。
うかつにも最後のCM撮影現場の涙がこぼれるシーンでぼくも泣いてしまった。

ちなみに上田義彦の奥さんは桐島かれん。
妻と娘を撮った「上田義彦写真集 at Home」というのも出しているらしい。

余談だけど、この番組のサイトに載っている上田義彦の写真がうちの親父にそっくりで、先日家族で話題になった。
ぼくが「父さんがテレビに出るらしいよ」って妹たちにメールを送ってしまったもんだから、それを聞いた母から「父さんがテレビに出るって本当?」って電話がかかってきたりしてちょっとした混乱に。
でも、この間実家に帰ったときに母に見せたら、母は全然似てないと言った。ぼくと妹2人はそっくりだって言って主張していたのだけど。
で、肝心の本人には残念ながら聞きそびれてしまった(父は気難しい人であまり冗談が通じない)。今度実家に帰ったときには聞いてみようと思う。

* * *

それにしても、NHKはいい番組つくるよなぁってしみじみ思う。
受信料がどうこうとか問題になってるけど、こういうの見れるってだけでも安いもんじゃないですかって思うのだけど。

無線LANをシェア?

昨日夜遅くに家に帰るときにアパートの階段を上っていたら中国人の女の子に声をかけられた。

「4階に住んでる方ですか?」
「そうですけど……」
「ネットやってますか?」
「はい」
「月々いくらか負担するのでネットをシェアさせてもらえませんか?」

彼女は同じ階に住んでいる留学生だそうで、自分でネットを引くのは大変だから近くの部屋でネット引いている人とシェアしようと思っているらしい。

そりゃ、無線LANだしうちの部屋は狭いので3つか4つくらい隣の部屋だったら電波も届きそうだけど。
「でも、無線LANのカードがないと接続できませんよ」って言ったら、無線じゃなくて有線でということらしい。ということは、まさかよその部屋のベランダにLANケーブルを通させてもらうのか?と思ったけど、彼女によると、他の階の彼女の友達は実際にそうやって部屋をまたいで有線でネットを共有しているということだ。なんだか学生っぽいノリでいいですね。
でも、そもそもうちにはルータもハブもないので有線でシェアするというのは無理なわけで……。
しかも、AirMacベースステーションとWindowsの相性とかもありそうだし。

それで、ひとまずもう少し調べてからまた連絡しますということになった。

ぼくは前々から近くの部屋の人同士で無線LANでネット共有したら安上がりでいいのになぁとか考えていたのだけど、いざ、そういう話が持ちかけられたらちょっと躊躇してしまう。そんなのでほんとにセキュリティとか大丈夫かどうかもよくわからないし。

ところで、こういう無線LANのシェアっていうのは、プロバイダ的には禁止なんですかねぇ?
マンション丸ごと無線LANのような時代にそんな細かいこと言っててもって気もするけど、ほんとうのところはどうなんでしょ?

新聞代 / 旅行人

なんか最近たくさんコメントいただいてありがとうございます。
いちおう「旅の写真とカメラ」のサイトを標榜してるんですが、そんなことは、まぁいいです。

で、今日の出来事……。

長らく滞納していた新聞代を払いに行った。
けっこう溜まってるだろうなぁと思っていたら、なんと8ヶ月!
一気に財布の中がさみしくなりましたよ。ま、仕方ないことなのだけど。
で、あまりにも申し訳なかったので、銀行引き落としにしてもらうことにした。

* * *

それから、今日は久しぶりに大学のゼミの部屋に行った。
ぼくのいたゼミは普通のゼミの概念を少し超えたようなところで、詳しく話すと長くなるので端折るけど、ちょっとかわったところなのだ。

そのへんのことは、以下をご参照ください。

というわけで、307というゼミの部屋があって、いままでにいろんなものを持って行っては置きっぱなしで帰っていたのだけど、今日3年越しに新たにぼくの私物が発見された。

まずは、福耳の「星のかけらを探しに行こう」のマキシシングル。別に探してたわけでもないのでどっちでもいいわけだけど、どうもぼくのらしいということで持って帰ることに。
で、次に見つけたのが旅行人の「チベット」というガイドブック。うちのゼミは旅行に行く人が多いのでまさかぼくのだとは思ってなかったけど、本を開いてみたら、数枚のインドの列車やバスのチケットが出てきた。チケットの行き先や発行日を見たらおそらくぼくのものだろうことはわかったのだけど、極めつけは、文庫本によく挟んであるほかの本の紹介のチラシ?みたいなやつ。
「村上春樹の世界」っていうのが挟まってた。

それ、間違いなくわたくしのです。
そういえば、あのとき「羊をめぐる冒険」を読んでいて、しおり代わりに使っていたそのチラシを挟んだ記憶がある……。

旅行から帰ってきて、ガイドブックの類いにはまったく興味がなかったけど、いま見返したらなかなかおもしろい。その本からはインドのサイババのお香の匂いがした。なんとも懐かしい匂い。

そんなわけで、懐かしさついでにいまサイババのお香を部屋で炊きながらこのブログ書いてるわけです。
もう5年も前のストックのサイババのお香も最後の1本だった。どこかで調達しないとね。

レイモンド・カーヴァー

実家に帰っている間、ネット難民なので特にすることもなく、せっかくだからと思って読書をした。

レイモンド・カーヴァーの「ぼくが電話をかけている場所」という本。

レイモンド・カーヴァーはアメリカの短編オンリーの作家で、翻訳は村上春樹(まあ、だから読んでいるわけですが)。
小気味よい文体でさくさく読める。そしてなにより、話にオチがまったくないのがいい。
ある日のある出来事が、淡々とそれでいてテンポよく綴られている。

ぼくは基本的にあまり話しにオチのない人間なので、こういう小説というのはわりに好きだ。
読んだあとに、なんとも言えない余韻が残る。

写真も同じで、「雄大な大自然の写真」とか、「世界平和を訴える写真」とか、そういうのよりも、日々の何気ない一瞬、ありふれた断片を撮りたいなぁと思う。

と言いながら、実家でもあまり写真を撮らなかったわけだけど……。

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